私は、好きなアニメは?と聞かれたら脊髄反射でがんだむーと叫んでしまう重度のガンダムファンです。ただし、私がガンダムと呼ぶのは所謂1stと呼ばれるシリーズのみです。ところが、ガンダムは20年以上も人気のシリーズとの扱いを受けながら、なんとも主体性の無い、どこの誰をターゲットとしているのかもはっきりとしない展開を続けています。何がいけなかったのか、理由は色々あると思いますが、その一つに、「作品のテーマが後続のクリエイター達にうまく伝わっていない」というのがあると考えます。なぜ、そんな恐ろしいことが起きてしまっているのでしょうか。
 さて、なぜ突然こんな話を始めたのかといいますと、最近youtube、ニコニコ動画といった動画公開サイトを利用していて、これが原因じゃないのか?と思ったことがあったから、なんですね。

 では、本題に入ります。私はこれ、原因の一端は”ダイジェスト映像の氾濫”にあると考えます。ファンが編集したものもあれば、プロモーションのために作成されたもの、ゲーム等の関連商品につけられたものなどいろいろあるでしょう。ダイジェスト映像というのはファンにとっては楽しいものです。編集した人の個性や思惑が入ることで、また違った感覚で原作を楽しむことができるからです。しかし、編集者の思惑や感性というものが原作者とは一致しないという部分を忘れてはいけません。が、実際にはそこまでわかった上でダイジェスト映像に触れている人はいったいどれくらいいるのでしょうか…。むしろ、ボリュームのある原作は視聴にかかる時間的犠牲から敬遠され、ダイジェスト映像のみで知識としてしまっている人すら少なからずいるのではないでしょうか。また、幼少期のおぼろげな記憶を直接ダイジェスト映像で補完してしまって、原作を歪めて記憶してしまっている場合もありそうです。

 ガンダム原作がわかる人には実例を挙げましょう。ガンダムのラストシーン、作品のメインテーマとなるシーンを思い浮かべてください。

 3
 2
 1
 ゼロー!
 飛び出してくるコアファイター
 はい、これは典型的な間違いです。(断言)

 もっと大切なのはその前です。主人公アムロが初めて自分の能力を認識し、仲間達を誘導して脱出させる、初めて、戦いではなく、人を助ける。それこそが悲劇的な内容だったストーリーの終着点であり、最後の”救い”なのです。その部分がなければ最後のカウントダウンなど実に陳腐なものです。最後のカウントダウンとは、アムロが見出した人類の新しい可能性を、子供たちが継承している事実を見せている訳です。

 実際には、テンポの良いカウントダウンシーンばかりが取り上げられ、大切なテーマは薄れて伝わってしまっている、私にはそんな悲劇に見えました。

 ラストシーンを良く見ている人は、ガンダムをリアルロボットアニメなどと呼ぶのには抵抗があるんじゃないかと思います。あれはまさに超能力者を介して人の在りようを描いた作品であり、ロボットなど単なる小道具に過ぎないからです。ラストシューティングを放ち朽ち果てたガンダムが、乗り捨てられて無人の状態だったのが、まさにロボットなどどうでもいいという原作者の意思表示だったのではないかと私には思えます。

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KEM

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