http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111122-00000005-jct-ent
結局のところ、製作サイドも消費者サイドも、多様性だとか独自性を重んじないようになってきたんだと思う。
酔狂というか、心の余裕というか、そういうのが無くなって、手っ取り早い娯楽に走った結果じゃないだろうか。
そしてこれは、アニメに限った話では無いと思える。
何の分野でも、過剰な淘汰がされて選択の余地が無くなりつつあるのが今の世の中なんじゃないだろうか。
結局のところ、製作サイドも消費者サイドも、多様性だとか独自性を重んじないようになってきたんだと思う。
酔狂というか、心の余裕というか、そういうのが無くなって、手っ取り早い娯楽に走った結果じゃないだろうか。
そしてこれは、アニメに限った話では無いと思える。
何の分野でも、過剰な淘汰がされて選択の余地が無くなりつつあるのが今の世の中なんじゃないだろうか。
コメント
そんなに高級かつ独自性のある
コンテンツでなくても満足できる国民なのです。
日本で水戸黄門が何十年続いたのか。
その二次創作がどれだけ作られたのか。
いつまでタモリはお昼の帝王として君臨し続けるのか。
要はそんな感じです。
しかも手塚治虫が毎年ポコポコ現れたりはしません。
ただ問題なのは作り手が
「手塚治虫のように賞賛されたい」ことを目指しても
「誰かに『○○のようになりたい』と言われる作家になる」
を目指さなくなったことではないかと思います。
コンテンツの利用者が分かりやすくて手っ取り早い
面白さを指向するのはありでしょうが
それに作り手が甘えたり逃げたりしてはいけないのです。